『ありのままで』『自分らしく』生きるとは

今回は

『ありのままで』『好きなように』とは。

周りに迷惑を掛けて不快な思いをさせてまで貫くことなのか??

というモヤモヤについて吐き出す。

その前に

自分が正しい!!自分は完璧!!

という想いはこれっぽっちもないことを前置きとする。

ただ、吐き出したい。


近年『ありのままで』『自分らしく』が流行りのようだが

私たち障害児の親は

子供の社会的に状況にそぐわない行動により、周りに迷惑を掛けないように…

と常に神経を張り巡らせて生きている。

少々極端な例ではあるが

私たちの子育ての世界は

『生まれたままで』『ありのままで』

が社会に受け入れられにくいものである。

しかし、それは障害児育児に限ったことなのだろうか??

一般社会や家庭内、友人間や日常的に起きているのではないだろうか??

身近なところで言うと

『家庭』

もう恥晒しでも何でも良いが

うちの主人は自分のやりたいことを死守する。

朝、家を出る前に家事や子供の準備でやることがわんさかあるのにも関わらず

『自分』を優先する。

まぁ。筋トレとか。

そんなことよりも、少しでも掃除機かけたり食器洗ったりちょっとでも手伝って欲しいわけ。

これは何度も言ってる。毎日言ってる。

それでも彼の世界は『筋トレ』を中心に全てが設定される。

『筋トレ』の時間を死守する。

はっきり言って迷惑!

私も暇じゃない。

つまり

誰かが『ありのまま』や『好きなこと』を貫こうとすると

誰かが我慢をして迷惑を被ることがあるのではないかということ。

(事例が恐ろしい程情けないが笑ってくれ)

もちろん、状況や関係性による。

そこで距離を取れる関係性なら、距離を取ったり関係を絶ったりすることも出来るが

共存する関係性の場合

『ありのままで』
『好きなことを好きなように』を貫くことで

弊害が生じることもある。

仕事でもそう。

例えば、連絡のやり取りや返信がないと仕事が滞ってしまう場合

『忘れちゃうタイプなので、うふっ…^^』

じゃ、済まない。

仕事が滞ることで誰かに迷惑がかかっている。

それなら、どうしたらその問題を解決できるか対策を考えないといけない。

忘れてしまうならリマインダーを設定するとか

誰かに管理してもらうとか。

そこは『ありのままで』ではなく

改善が必要な部分。

要は、誰かと共存して生きていく以上

社会的に不適切な行動なら改善していく必要があるし

相手がいて成立する物事や共同作業であれば

お互いの妥協点を見つけていくのが必要なのではないか。

ここからは人それぞれの価値観になるとは思うが

自分と自分の大切な人が幸せであることで幸福感を感じる。

だから大事な人を犠牲にしてまで、自分らしさや自分の好きなことを貫きたいと思わない。

妥協点を見つけて、相手に合わせて相手がハッピーになることが私の自分らしさである。

だから

相手が大変な時、更にSOSを出しているのにも関わらず

それを無視して

筋トレなんかしない(笑)

まぁ要は

『ありのまま』や『自分らしさ』を貫いた先に

共存する・周りの人も良ければ問題ないという話なのだが。

なんか、現代っぽく

『ありのままで』『好きなことをやる』

の意味に疑問持ってしまうことがあって今日は吐き出してみた。

『ありのままで』『自分らしく』の定義はものすごく広範囲ではあるし

状況によって意味が全く異なってくるもの承知である。

ちょっとした思いやりで人との関係は変わってくる。

という意味では自戒を込めての内容にはなるのだが。

ちょっとした思いやりに自分が救われてきたから

自分もそうでありたいという願望の表れなのかもしれない。

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