障害児の生きる権利。普通って何?皆と同じことが幸せ?

こんにちは。cocoroです。

私の息子(9歳)は重度知的障害を伴う自閉症です。

発語は無し。

文字の読み書きも出来ません。

って紹介をすると

早く喋れるようになると良いね

文字の読み書きが出来るようになると良いね

発語を促すようにアレとかコレとかやってみたら?

文字の読み書きを教えてみたら?

とお決まりのように言われるのです。

確かにそうかもしれない。

しかし、これに関しては私はちょっと違う考えというか違和感を持っています。

言って下さる方も悪気がないのも分かる。

何故、息子の事でこう言われるのが私のモヤりポイントになるのだろう…??

とずっと考えていたのです。

息子が皆と同じようになって欲しいとは全く思っていない。

(皆と同じ?普通って何?って話は今回は置いといて)

ということで、私が重度知的障害を伴う自閉症の息子を育てながら感じることを、つらつらと書いていきたいと思います。

ただ、私の考えが正しい訳でもなく、寧ろ偏っている可能性も大いにあり、まぁ私自身も変わってるし(笑)という前提でお話したいと思います。

目次

普通って何だろう?みんなと同じことが幸せ?

冒頭でもお話しした通り

『言葉が出たら良いね』

と言われる事に対して私が思うこと。

確かに、一般的には

  • 障害があるより健常の方が良い
  • 発語がないよりあった方が良い
  • 文字の読み書きは出来ないよりは出来た方が良い

かも、しれない。

じゃあこれらの方法が、息子にとって最善の方法なのか??

と言うと…また別の話な気がするのです。

は?何言ってんの?話せる方が良いに決まってるじゃない!

と思う方もいらっしゃるでしょう。

もちろん出来ることがたくさんあることに越したことは無いし、マジョリティ(大多数)がこれらの手段を使っているから、その方が便利なのかもしれない。

でも、これって

マジョリティ(多数派)の思い込み

なのかな、と。

息子が『話す』『文字の読み書き』が出来ない事に対して

勿論そこに何もアプローチをして来なかった訳ではない。

STにも通ったし、今現在学校でも平仮名のなぞり書き等もしている。

息子の名前を指差ししながら教えたりもするし

(平仮名の認識はしていないが、自分の名前を『塊』として認識はしている様子)

絵本でイラストだけではなく文字を指差しして教えてみたりもする。

それでも出来ないものは出来ないし理解が難しい。

そんな中、息子が保育園時代に

『息子は一生お話しする事が出来ないかもしれない』

と、息子が生涯に渡り発語する可能性は低いだろうと予想をした。

それなら息子が出来る方法を考えていこうと思ったのが保育園の年長くらいの頃。

ただそれは諦めではなく、息子にとって最善の方法を考えていくという事だった。

みんなと同じ事が息子にとっての幸せとは限らないのだ。

息子の『生きる術』

言葉を話せない、文字の読み書きが出来ない

それならどの方法なら可能なのか?と考え始めたのがPECS

PECSについてこの記事では割愛させて頂きますが

PECSのレッスンを始めてみると息子には非常に適したツールで、息子なりにどんどんコミュニケーションスキルを習得していくことが出来た。

PECSは障害の種別や重軽に関わらず始めることが出来るコミュニケーションシステム。

まさに息子にとっては発語の代わりとなる

『生きる術』の一つになった。

そのPECSのレッスンの中では、発語を促すためのアプローチというものがある。

ただ、それは『促す』アプローチであって

絶対に発語を強要しない

というのが大原則。

実に目から鱗だった。

そして更に

PECSレベル2のワークショップの中で、私はパワーワードを耳にする事になる。

コミュニケーションの方法は本人に選択する権利がある

つまり、発語が出てきたとしても、本人がPECSでのコミュニケーションの方が使いやすくPECSが最善だと思うならそれで良いということ。

これだ。

とストンと自分の中に落ちた。

つまりは、息子らしく息子が生きやすい方法が息子にとっての『生きる術』であると。

出来ないことがあっても、本人に出来る方法を使って生きていけば良い。

ということ。

もしかしたら、冒頭に記述したことを言われると

今の息子を否定されているような気持ちになってしまっていたのかもしれない。

ただそうは言っても、重度知的障害の自閉症で発語もない。

自分でチャンスを見付けて、そのチャンスを自分の手で掴みに行くという事がとても難しい。

PECSだけで全てを補うことが出来るかと言うと、PECSやその他のコミュニケーションスキルアップをしないと難しいだろう。

そこは私たち保護者を含め周りがチャンスを与え続け、教え続けなければならない。

なんとなくまとめてみると

息子を尊重しながら

現状を受け入れて理解をし

でも決して諦めず

でも決して押し付けず

チャンスを与え続け、教え続ける必要がある

その延長線上に

息子が『発語』『文字の読み書き』という機能を備え付けることが出来て、息子が最善だと思う方法を選択してくれたら良い、と思うのです。

これは本当に加減が難しい。

好きな事・やりたい事ばかりして生きていける訳ではない。

だから、教え続ける。

息子に合った方法で。

私自身も変わってるし(笑)、自分の考え方が正しいとは思っていないし、この考えが自体が偏っているかもしれないと言うことは重々承知の上ですが、思うところはこんな感じ。

とにかく、息子にとっての最善を常に考えるだけ!

お読み頂きありがとうございました☆

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