『かわいそう』という哀れみが失礼で大嫌い

私は『かわいそう』という言葉が元々大嫌い。

特に障害のある息子が出来てから、よく言われる言葉ではある。

『かわいそう』とは、不幸な・良くない・マイナスな状態に対して使われる印象である。

同時に見下されているような気分になる。

障害のある息子は『かわいそう』な存在なのか?

以前、西加奈子さんと日テレの菅谷大介アナウンサーの対談を見て、西さんが仰っていたこの『かわいそう』についての感覚に首が捥げる程頷いたことがある。

作家の西加奈子さんはトリプルネガティブという乳がんになりカナダで治療をされ本も出版されている。

西さんは菅谷アナウンサーとの対談の中で

カナダでの治療で医療従事者から

『一度もかわいそうな患者として扱われたことがなかった』と仰っており

それに本当に救われたとのこと。

医師であれ看護師であれ自分以外の人を『かわいそう』と思う権利はない

と言うことを彼ら(医療従事者)は徹底していたと思うと西さんは語っておられる。

それは障害者(児)に対しても同じではないだろうか。

自閉症の息子に例えるなら

自閉症なのね。かわいそうにねぇ。お話できないのね。早くお口から喋れるようになると良いねぇ

と言われがちなところを

そうか!あんた自閉症なんねんな!なんや?!iPadがあればコミュニケーション取れるんやて??イラストや写真で伝えたら分かるんやて??おぉそうかそうか!分かったわ!

みたいな感じだったり

お絵描きもできないし文字も書けないのね。つまらないわねぇ。

と言われがちなところを

ほほー、怪獣並べてんのか?!おもろいな!ほんならわしはウルトラマン並べるで!写真撮ろな!AirDropで送ってくれや!

みたいな感覚なんだろうなぁと想像した。

(西さんの本でカナダ人の医師や看護師との会話が関西弁で表現されている)

※私は関西弁を使わないのでおかしな表現については悪しからずご容赦ください。

他にも対談(動画)の中で共感・共通することが多々あった。

『治そう!』とは言われるけど

『治るよ!』と無責任なことは言われなかったと仰っている。

自閉症も『治る』とか『いつか喋れるようになる』と言う人もいる。

障害は治らない。

無責任なことを言わないで欲しいと思う。


私にも息子を『かわいそう』と思う権利はない。

『かわいい』と思っても『かわいそう』と思うことはない。

障害者=不幸ではない。

不便かもしれないが不幸ではない。

ただツールや手段によって生きやすくする工夫を施すことは出来る。

私はただこの子が生きやすくなるためのサポートを淡々とするだけだ。

つまりは『かわいそう』の中には『不幸だね』と言う哀れみが含まれており、とても失礼に当たる気がするため大嫌いなのだ。

他人の幸不幸は自分の物差しで計るものではない。

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